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大志を抱く日に何する?やることまとめ! [大志を抱く日]



大志を抱く日とは、別名ボーイズビーアンビシャスデーともいい、

かの有名なクラーク博士が『少年よ大志を抱け』という言葉を残したことを記念した日です。

クラーク博士は北海道大学の人ならなじみがあるでしょう。

大学内に銅像がある方です。



正確に言えば、少年よ大志を抱けという言葉を残してアメリカに帰国した日が、1877年4月16日です。

少年よ大志を抱けという言葉だけが独り歩きしている感じもしますが、

実はアメリカに帰国した日だったんです。



クラーク博士について知ろう


この大志を抱く日にやることとといえば、まずはクラーク博士について知ることです。

名前は知ってるけど、何やった人なのかは全然知らないという人も多いのではないでしょうか。



クラーク博士は、化学、植物学、動物学の教師で、さらにキリスト教についても教えていました。

現代の分類でいえば、化学、生物、さらに物理や数学の一般論、そして、倫理について教えた人となります。



クラーク博士の経歴をものすごくまとめると、

父親が医者の生まれで、アーモスト大学を卒業しています。

このアーモスト大学というのはリベラルアーツ教育で世界的にリードしている大学です。

リベラルアーツ教育というのは、簡単にいえば汎用性に特化した教育で、専門化しないタイプの教育です。

幅広くいろんな分野を学ぶタイプの教育といえばわかりやすいかもしれません。



その後、ドイツで最もノーベル賞受賞者を輩出しているゲッティンゲン大学に留学します。

アマースト大に教授として戻った後、農業について教育を行います。



南北戦争での教育の一時停止などもありつつ、マサチューセッツ農科大学の学長になるなどキャリアを邁進していたクラーク博士ですが、日本人の留学生と出会います。

それが同志社大学を創立した新島氏です。



その新島氏と日本政府にはつながりがあり、そこからクラーク博士を日本の大学に招くことに成功しました。

1年間の休暇を使って、その間に札幌農学校(いまの北大)で教えることになったんです。

実際は9か月間の指導でしたが、その功績は大きく、ヨーロッパの大学と同じレベルのカリキュラムを行ったとされています。



しかし、クラーク博士の晩年はあまり良いものではなく、洋上大学のアイデアも頓挫、鉱山会社を作るも知人に横領されて破産。

心臓病もあって、1886年に亡くなっています。




少年よ大志を抱けは捏造だった!?



クラーク博士の有名な言葉である『少年よ大志を抱け』という言葉ですが

これは捏造だと考えられていた時期もあったそうです。

当初はこの言葉を記録したものがなかったためです。

後世の人間がいい感じの言葉をでっち上げたと思われていたんです。


ですが、近年の研究でクラーク博士の口癖であったこともわかり、

さらに、この言葉を記録した書物も見つかったこともあり、現代では捏造ではないとされています。


ただし、正確に言えば『boys be ambitious like this old man』となるそうで、

後半部分は省略されることが多いようです。



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